昭和30年代の東京の下町を舞台に人情や当時の生活を描いた「3丁目の夕日」のパロディ。
4丁目に迷い込んだ読者を陰鬱な不幸の連鎖が襲う
身の程をわきまえなかったことがこんなにも罪だというのか……
オススメ:⭐️⭐️⭐️⭐️
※星の付け方については↓の記事をご参照ください
概要
作者 山野一(やまのはじめ)
出版社 扶桑社
発表時期 1999年
ページ数 188ページ
備考 1985年から1年間「ガロ」に連載されていた漫画。ガロといえば、つげ義春、蛭子能収、花輪和一、丸尾末広を輩出したサブカルのバイブル。
文庫版の帯のキャッチコピーは「人間、どう不幸になったってここまで不幸になれるものじゃない」
この作品はとてもじゃないけれど「面白い」とは言えない。しかし、考えさせられる。
強烈に印象に残る作品であることは間違いない。
ちなみに以前した「粘膜人間」の作者である飴村行氏もこの作品が好きだと何かのインタビューで言っていた記憶がある(適当)。やっぱりな。そうゆうとこやぞ。
あらすじ
別所たけしは小さな印刷工場の息子。
学歴がなく苦労した両親は、息子を一流大学へ行かせることを夢見て、鶏口牛後の精神で怪しげな金融業者から金を借りてまで貧乏工場の独立を維持している。
そのため生活はカツカツ。父親の富重にとっての唯一の楽しみは子供達の成績表を見ることだったが、
長男のたけしは見事に親の期待に応える努力家の秀才だった。
ある日、武の母親が庭でゴミを燃やしていた際に誤って(無知?)缶スプレーが爆発し事故を起こす。
母は一命を取り留めたが、過失による事故のため保険はおりず、入院費用は容赦なく家計を圧迫する。
大学受験を断念するか悩んだたけしだったが、父親の勧めもあり、受験勉強を継続する。
父親は一家を支え、たけしの受験を応援するため仕事量を3倍に増やし、昼夜問わず働いた。
しかし、皮肉にもその過労が元で父親は不注意から大型の印刷機会に挟まれて圧○する。(ぐっちゃんぐっちゃん)
経営者の父親が亡くなったことで、家も工場も借金のカタに取られ、当然のように進学の道は断たれた。
たけしと妹、弟の3人は今の家よりもずっと暗くて狭い、TVもない安アパートで生活することになる。
ひなびた製鉄所で働きながら、ボロアパートで兄弟を養う日々を送るたけし。
アパートの他の住人は精神に異常をきたしている様子の変人ばかりだった。
ある日、たけしが妹弟たちと夕飯の食卓を囲んでいると、下の階の住人が斧を持って部屋へ押し入ってきた。
階下の異常者は長女を殺し、弟の首を刎ねた。食べていたカレーのスプーンで応戦するたけし。
そのまま犯人の斧を奪って、反撃する。犯人が息絶えてもたけしの興奮は治らず、そのまま町へ走り出したたけしは無関係の通行人を片っ端から斧で乱打し、13人を惨殺、25人に重軽傷を負わせ、駆けつけた警察2人を殺害した後に取り押さえられた。
取り調べ時にも、たけしの錯乱状態は治らず、結局弟と妹の殺害を含む全てがたけしの発狂による凶行とされた。
裁判ではその精神状態から責任能力の不在が証明され、長い精神病院への入院が義務付けられる。
そして30年の時が流れる。
その間、高校時代の友人だった立花はイギリス留学や良家の娘との結婚、子供にも恵まれ会社経営者になり、一点のくもりもない有意義で快適な人生を送る。
高校時代のガールフレンドも、平凡なサラリーマンと結婚し、あたりまえの主婦におさまった。
50歳目前にして過ぎてようやく娑婆に戻ったたけし。
精神異常犯罪者として人生の大半を病院の中で過ごした彼に紹介された仕事は地下鉄構内の痰壺清掃の仕事だった。
幸い新しい職場では好意的に迎えられ、早くもたけしに惚れ込んで親切にする女性清掃員も現れた。
1日の仕事が終わり、荒れ果てたゴミ置き場の片隅にある住処へ帰るたけし。
”今までのたけしの人生は幸福とは言えないが、これからの人生において失われた多くのものを取り戻していくだろうという”
というナレーションで物語は終わる。
おしまい
何が悪かったのか
まずこの作品を読むと、これが頭に浮かぶ。
運命のボタンの掛け違い…そんな言葉で片付けてもいいものではない。
この地獄への連鎖は何が原因だったのかと考え絶句する。
たけしの母親が事故を起こして、その入院日が家計を圧迫させたことは大きな要因だろう。事故は誰にでも起こる可能性はあるし、避けられない。
しかし、この時点でたけしが大学進学を諦めて親父の手伝いをしていれば…。もしくは金持ちの友人、立花に相談していれば……。などと考えてみるが、主人公一家の生い立ちを見るに多分その選択肢はないだろう。
物語の序盤で立花と昼食を食べるたけしが「なんなんだろうな、この”差”は」と言っているが、これが答えなんだと思う。
序盤に感じたこの違和感のような差が、のちの人生で大きな壁となって襲いかかる。
しかし、その”差”を埋めようと努力したたけしには全く非はない。
いうならば、生まれた環境の違いだ。
鬱映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」と同じような感想
ビョーク主演の映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を見終わった時と同じような感想。
鬱エンドではあるけれど、ただの胸糞映画として片付けるにはあまりにも現実がすぎる。
この物語には主人公一家を救ってくれるような正義の味方もいないが、悪意を持って主人公に接してくる人間もいない。
借金取りや、ヤンキーパイセンなどは出てくるが、彼らも普通に生きているだけで主人公を故意に地獄に突き落とそうと画策するわけではない。彼らは彼らの生活をただ生きているだけ。
主人公は限られたカードの中から自分で選択して人生を懸命に生きる。しかし、悪役も、過ちもないのに何故か物事が悪い方へ落ちてゆく。それが怖い。
この作品がトラウマを生み出すと言われているのは、父親の死に様や、兄弟の顛末などの残酷描写だけではなく、
「非がないのに落ちていく」という物語の展開にあると思う。
野心もないのにプリンセスになるシンデレラや白雪姫とは真逆の構図だ。
思いの外トントン拍子で上に引き上げられてゆく物語は見ていても気持ちがいいが、努力も報われず、魔法使いのおばさんも現れないたけしがどんどん沈んでゆく様は、なんとも言えない不快感、いたたまれなさを生む。
作者「ぐっちゃぐちゃ」を描きたかった
しかし、この作品を読んで衝撃を受けてもあまり難しい感想を抱かなくてもいい。
作者のあとがきを読むと、若かりし日の創作活動の鬱憤を晴らすため、ラストの猟奇殺人と、人間が印刷機に挟まれるところを描きたかった。その場面を最初に構想して後は逆算して描いていったと記されていた。
要するに、この作品で何かしらのショックを受けた人は、作者の鬱憤の吐口にされたようなものだ。貰い事故だ。さぞびっくりしただろう。
作者の方がむしろこの作品に寄せられる「感動した」や「癒された」のカタルシスを語る感想に驚いているようだ。
しかし、世の中には金を出しても事故に会いにいく酔狂な人間もいるのだ(ホラー好き全般)
サブカルとは
この『4丁目の夕日』という作品は「これをなしにサブカルを語ることなかれ」と言われている作品だ。
サブカルチャーとは、大衆文化と呼ばれるポップカルチャーとは対になる言葉で、
少数派に支持されている文化のことを指すが、サブカルにはこのようなトラウマ必至の鬱作品が多くある。
これはサブカルチャーがポップカルチャーの闇の部分を描いているからではないだろうか。
勇者が魔王を倒す大人気ゲーム『ドラゴンクエスト』のストーリーがポップカルチャーなら、
『魔王倒したし帰るか』の内容はそのストーリーの影になる部分、文字通り”サブ”のカルチャーと言えるのではないだろうか。
大人気映画『3丁目の夕日』が人情あふれる昭和の下町の表の顔を表現したものなら、『4丁目の夕日』には昭和の裏の顔がある。
『魔法使いサリー』がポップカルチャーなら『魔法少女まどか☆マギカ』は怖い怖い裏の顔、サブカルだ。
主人公の父親が掲げる「小さくても一国一城の主人となれ」という鶏口牛後の教えの裏には、安全性の確立されていない職場での連続勤務や資金繰りなど責務がある。自由には責任が伴う。完全なる自己責任だ。
自由とは自分だけに都合のいいものだとはき違えている現代人には恐ろしい真実。
そういった物事の光と闇、とりわけ闇の部分を描いたものに惹かれる人はサブカル好きな人と言えるのだろう。
ちなみに私はニヒリスト(虚無主義)ではないがつげ義春も好きだし青木雄二や伊藤潤二も好きなので自分では立派なサブカル女子だと思っている。(女子というところだけは嘘)
ちなみに伝説的漫画誌「ガロ」は、もうちょっとなんか版元の方で色々あって(クーデター原稿持ち出し事件とか)2002年に事実上廃刊しており、現在は『アックス(AX)』という雑誌が後継雑誌と言われている。
似ている作品
映画 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」ラース・フォントリアー監督
2chスレ 「魔王倒したし帰るか」
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